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2015年 お正月 その3 【東光寺】 [日記・コラム・つぶやき]

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 こんにちは、ゴマ子です。

 2015年 お正月 その3は、甲府五山のひとつであります 東光寺を

 アップロードさせていただきます。

 甲斐善光寺のあとに訪ねました。

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 こちらは中門。

 東光寺の正式名称は 『法蓋山東光寺』、草創は平安時代末期だそう。

 その後 蘭渓道隆によって、鎌倉時代に禅宗寺院となり、

 武田の時代に寺運は栄えたと言います。

 それは、武田信玄公の臨済宗妙心寺派に深く帰依したことによるもの。

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 甲府五山とは、信玄公が京都・鎌倉五山にならって

 長禅寺・法泉寺・能成寺・円光院・東光寺の、現在の甲府市内の5つの寺院のことを

 いいます。

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 あらゆるところに武田菱があしらわれています。

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 門の外から見た仏殿。

 建立の時期は明らかになっていませんが、様式からみて室町時代のものと

 されています。

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 国指定の重要文化財であります仏殿。

 ご本尊、薬師如来が安置されていますことから、別名 薬師堂とも呼ばれているんだそうです。

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 木造薬師如来坐像。

 東光寺仏殿の本尊、薬師如来は、

 正しくは「東方薬師瑠璃光如来(づんぽうやくしるりこうにょらい)」とよばれ、

 鎌倉時代の作である。この仏様は、東方浄瑠璃光世界の教主といわれ、

 十二の大誓願を発し、衆生(しゅじょう)の病苦を救い、

 無明の痼疾(こしつ・長い病い)をいやす如来で、左手には薬壺を持っている。

 (HPから引用させていただきました。)

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 織田信長は甲府善光寺に本陣を置き、東光寺を焼いた。

 しかし、不思議に仏殿だけが焼け残った。

 仏殿の中の柱に、織田軍が乱入した時の刀きずが残っている。

 昭和二十年七月六日の甲府大空襲でも諸堂は焼失したが、

 仏殿だけが焼け残り、奇跡な因縁を感じさせる。 (HPより引用させていただきました。)

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 昭和三十一年に解体修理が完成し、

 現在の美しい姿は、清白寺仏殿・最恩寺仏殿とともに、

 中世禅宗建築を知る重要な建造物といえる。

 (HPから引用させていただきました。)

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 続いて、こちらは庭園です。

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 池泉観賞庭園です。

 東光寺庭園の広さは約1.485平方メートル。

 中国風のテーマであり、蘭渓道隆の手によるものと考えられています。

 山梨における第一級の名庭であると言われています。

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 池泉観賞庭園というのは、 中国から伝わった蓬莱神仙思想の影響からか、

 古くから日本庭園に多くみられるスタイルだそう。

 池中に島を築いて神仙島を表現し、長寿や永劫の繁栄を祈ったといわれています。

 蒸し暑い日本だからこそ、発達したスタイルなのかもしれません。

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 こちらは本堂。

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 甲府五山の一つを、ようやく訪れることができました。

 これから他4か所の寺院を 年内にいけたらなぁ~と思っております。

 元旦の様子は東光寺で結ばせていただきますが

 2日の様子は、その4から綴らせていただきたいと思います。

 そして、今日から本格的に始動という方も多いのではないでしょうか?

 年末年始に養った英気で、2015年もいざ出陣!!

 今回も、ゴマ子ブログにご訪問いただきまして、ありがとうございました。


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