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もっと知りたいな!八王子の街⑨  【 信 松 院 】 [日記・コラム・つぶやき]

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 こんにちは、ゴマ子です。

  前記事は山梨県の話題でしたが、今回から又、八王子シリーズを復活させていただきますね。

 どうぞ宜しくお願いします。

 山梨の話題から繋げさせていただきますとー

 戦国時代の名将 武田信玄公の息女(五女)であります松姫が

 後半生をここ八王子で過ごされた事はご存知でしょうか?

 今回のリポートは、その松姫に関する話題です。

 上記の写真は、台町の信松院前交差点です。

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 少し角度を変えてみた写真はこちら。

  桜が満開の時期に撮影させていただきました。

 松姫開基の曹洞宗のお寺さん、金龍山 信松院が八王子市台町に在ります。

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 松姫の母親は、絶世の美女と誉れ高い油川夫人。

 同腹には、兄の仁科五郎盛信、葛山信貞、妹の菊姫(上杉景勝正室)がいます。

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 こちらは、正門です。

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 門扉には立派な武田菱が。

 松姫は7歳の時に、織田信長の嫡子 信忠氏と婚約します。

 その後 武田軍圧勝となった三方ヶ原の戦いで、織田軍が徳川軍に援軍を送ったことで

 松姫と信忠氏との婚約が破棄となってしまいます。

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 その後、上洛を果たそうと西に向かっていた父上 信玄公が亡くなります。

 家督を継いだ異腹の勝頼の時代に武田氏は滅亡。

 その年の正月に松姫は、信濃 高遠城主である兄 仁科五郎盛信のもとを訪れていましたが

 織田軍が高遠城をせめてくるとの報せを耳にし、兄たちの幼い子供たちもつれて

 甲府へ戻ります。

 その後は、幼い姪たち、護衛、侍女たち総勢28名で、甲斐国をあとにし

 峠を越えて東へと向かいました。

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 信松院前の松と、松姫像です。

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 峠越えをしたのは厳寒の真冬 2月から3月。

 幼子を連れての峠越えは、困難を極めました。

 この銅像は、峠越えをした時の松姫の姿を模ったものだそうです。

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 そして落ち着いた先が、現在の八王子市。

 当時の恩方村の金照庵に身を寄せたのです。

 そんな中、本能寺の変で信忠氏が亡くなる前に、松姫を娶りたいとの報せを受け

 一旦は西に向かった松姫ですが、その途中に信忠氏の死去の報せが入ります。

 次々に大切な存在を失う松姫は、一時は悲しみに暮れる日々を送ったことでしょう。 

 その後は心源院で剃髪し、尼となり 「信松尼」 と称しました。

 修業の後 現在の信松院が在る場所に庵を結び

 武田家を弔いながら、姪たちなどの幼い子を養育するのに

 近所の子供たちに手習いを教え、機織りをして生計を立てていたと言います。

 この松姫が伝えた機織物は、八王子の織物産業の発展に大きく貢献しました。

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 こちらは観音堂。

 1階が観音堂、2階が舎利殿となっています。

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 舎利殿の仏像は、昭和51年にタイ バンコクの屈指の名刹 ワット・パクナム寺より

 分与されたとか。

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 純白な柱や壁、そして金色の棟飾りは気高い観音菩薩のお姿を表しているそうです。

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 観音堂にお祀りされている聖観世音菩薩像は

 松姫の時代から大切に護られていたそうです。

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 いたるところに武田菱があります。

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 境内には、八王子七福神のひとつ 布袋様がお祀りされています。

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 その奥に、松姫のお墓が在ります。

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 こちらが松姫のお墓。

 死後132年目にあたる1748年に、千人同心千人頭達が玉垣を寄進して

 現在の形になったそうです。

 卵塔の形をしていますね。

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 お墓には松姫を偲んで、絶えずきれいなお花が供えられています。

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 松姫は、武田から徳川の家臣となっていった千人同心の心の支えともなっていました。

 一時は武田家を復活させようという動きもあったようです。

 また徳川家康公は、時折 松姫の安否を気遣っていたそうです。

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 松姫のお墓から見た観音堂の屋根。

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 撮影は、4月1日でしたので

 境内の桜が満開の時でした。

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 地元の人々から慕われていた松姫。

 1616年4月16日、56年の生涯を眠るように閉じていったそうです。

 法名は 信松院殿月峰永琴大禅定尼。

 生前、お琴をよく弾いていたそうですから 法名にも琴の文字が入っているのでしょうか。

 そして奇しくも翌日の17日は、徳川家康公が他界されています。

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 こちらは、3月下旬に撮影しました信松院の河津桜。

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 3月下旬の信松院の境内には、河津桜やしだれ桜を楽しみに

 地元の方々が訪れていました。

 今回、信松院についてアップロードさせていただくにあたりまして

 松姫に関しましての文献を拝読しましたが、やはり諸説あるようですね。

 松姫の織物に関するある記述の中で、武家の娘の趣味程度のこと・・というくだりがありました。

 ですが、ゴマ子の調べたところによりますと

 松姫は、今で言う着物のデザインに非常に優れた才能を発揮していたようで

 誰もが羨むほど評価が大変高かったと聞いています。

 また着物の製作に当たりまして、甲斐で多くの宝を得たという 

 松姫自身の思いが詰まった文書も拝見しました。

 その宝の賜物が、今の八王子の織物産業の発展に繋がっていったと思います。

 3月下旬、4月の始めに信松院を訪れまして、見事に咲き誇る河津桜やソメイヨシノを見ながら

 ゴマ子は松姫に語りかけました。

 「貴女の遺志は、後生に確実に引き継がれていますよ。 」 とー。

 戦国時代の姫君の数奇な運命に翻弄された一人の松姫。

 芯が強く清らかな心の持ち主は、乱世を生き抜きました。

 そしてその時代に、全ての女性の幸せを願っていたそうです。

 甲斐国の、山々が連なり、そして富士山の頂が臨め、自然いっぱいの環境と

 どこか似ている八王子の地で、

 松姫は、いつか甲斐国に戻ることができると信じていたでしょう。

 それは、時空を超えてもー。

 貴女が祈った分だけ、どうか甲斐国武田に戻って、平和で穏やかな毎日を

 愛する家族や仲間、ぼこたちと過ごしてほしいものです。

 あと一歩、もうひと押し。

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 信松院横の市道は、松姫の名が付く通りとなっています。

 およそ400年の時を経ても、地元に方々に慕われている戦国時代の姫は

 今もなお、八王子の街に感謝していることでしょう。

 このあとのリポートは、さらに松姫に関することをお伝えしていきたいと

 思います。

 今回も、ゴマ子ブログにご訪問くださり ありがとうございました。

   (追記) 【松姫400年回忌を迎えるに当たりまして】

 本日、松姫の命日に当たりまして信松院を訪ねました。

 毎月16日は月命日とういうことで、都指定文化財が公開されています。

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 こちらは、木製軍船ひな形。東京都指定有形文化財です。

 小早川隆景が使用した軍船の模型と伝えられ

 松姫同腹の兄 仁科五郎盛信の孫にあたる仁科資真が 

 松姫の百回忌に寄進したといわれています。

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 木造松姫坐像。八王子市指定有形文化財です。

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 武田菱があしらわれています。

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 信松尼公 肖像画。

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 松姫所有の薙刀。

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 こちらは、松姫逃避行のルートだそうです。

 拝見していると、涙が溢れてきました。

 文化財等を拝見していましたら、ゴマ子に続いてお二人男性が入館されてきました。

 お一人の方と話しがはずみ・・・というか、色々教えて下さり

 松姫について、また武田家について、もっと知りたいが深まってきました。

 男性の方、お名前は伺いませんでしたが 楽しい時間をありがとうございました。

 そして改めて松姫の、激動の時代を生き抜いたその強さに敬意を表します。

 後世でも、皆に愛される素晴らしい女性であったと感じた命日の一日でした。


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